|
◆着眼 |
自分の生きる目的
国会議員のひとりごと
国民を混乱させるマスコミ情報
|
◆茨城県医療法人協会ニュース |
2002年 7月10日号 【医療保険制度改革あれこれ】
2002年
4月 1日号 【小泉総理の聖域なき構造改革】
2001年11月16日号 【これからの医療のあり方】
|
◆政策勉強会 |
第6回政策勉強会
第5回政策勉強会
第4回政策勉強会
|
◆茨城県医師連盟だより-No.12より- |
【小泉内閣と医療構造改革】
|
◆私感 |
福祉の郷との融合
社会保険制度について
平成維新
今後の社会保障制度のあり方 我日本救済論 社会保障制度の構造改革に関する提言
私のモットー/5つの約束
私の理想とする『福祉の郷』
私の考える医療構造改革のあり方 |
|
● 経歴と政治家になった動機
昭和38年に千葉大学医学部を卒業し、基礎医学系大学院(薬理学)で学位を取得し、以来外科医として患者さんと接するようになりました。昭和44年、派遣先の病院に赴任し一般外科医として診療に従事の後、意あって46年、母校に脳外科が新設された際に3年間大学にもどり、今度は脳外科医として人生を歩き始めました。昭和54年(41歳)、隣町に48床のベッドを持って開業、以後四六時中365日病院に泊まり込んで患者さんと一緒に過ごし、10年後にはいつの間にか約10倍のベッド数になっていました。内訳は医療法人として一般病院が232床、老人病院(療養型病床群)が109床、老健施設が96床、在宅老人デイケアも行いました。自分は脳外科医であり術後脳死状態で生かしてしまった、その患者家族の苦労を目の当たりにして来ましたので、社会福祉法人として身体障害者療護施設50床を2ヶ所と、後に重度身体障害者授産施設を50床も作りました。その他、健康管理センター(ドック)と訪問看護ステーションなども運営しました。次々と施設を増築したそれぞれの理由はありましたが、常に自分が医師として本当にやるべきことは何なのかを真剣に考え、54歳の時、県議会議員に初挑戦し当選、まず知事にゴールドプランに乗り遅れないように"県立医療大学"の設置を提言しました。その後、現状のままでは県として"介護保険制度"に対応できないと思い、自民党県連会長にお願いして「21世紀いばらき福祉の郷づくり懇談会」を作ってもらい、私が座長になり学識経験者とともに作り上げたものを自民党県連の重要政策大綱として知事に提言しましたが、その内容は県レベルではできないものであり、平成10年度に自民党公認で茨城県地方区の参議院選挙で初当選したのが62歳の時でした。
|
|
Copyright (C) 2000 Kuno Office All Rights
Reserved. |