【平成14年6月20日】

  人間にはそれぞれ生きる目的がある。『自分が何のために生きているのか』考えない人は非常に寂しいことだと思う。
  私にも生きる目的がある。それは”その人自身が生きてきた道”と多いに関係するものであり、自分が生きてきた世界と現在の自分が生きている場所が異なると悲劇である。
  私は、『患者さんの為に何かしたい』と医師になった。医師としての人生を振り返り、患者さんと向かい合って何かを感じ、何をしてきたのか、今後どうしようとしているのか・・そこに私の人生の医者としての歴史があるように思う。私と同じ医師は日本にも世界にもたくさんいる。
  しかし、それぞれの医師は医療に対して、患者に対して、将来の福祉に対して同じ考え方ではない。従って、私が考えている『医療・福祉・介護・将来の高齢社会』と同じ思い・理想を描いている医師はいない。それは各自が生きてきた人生(環境)・歴史・経験から感じ得るものなので、やむ得ない事だと思っている。
  私は、長年地域の医療・福祉に従事してきた医師としての経験から育んだ理念を実現するために政治の道に入った。現場で感じた患者さんの立場、看護師の立場、医局の立場・地域行政の実感などについて自分なりに『なんとかしたい』という意欲が政治への道に志させたのである。しかし、今の政治には何の望みも将来展望も持てない。全く魅力を感じなくなってしまっている。
  昨日、鈴木宗男議員が逮捕された。色々な疑惑が取り沙汰されている(実態は不明)が、第三者がどうこういう問題ではないと思うのである。彼には彼の意見があり、考えがあり、地元地域の住民への思い、彼の政治理念のための行為かもしれない。そのために多くの資金が必要となり、彼なりの集金手段でそれなりの理由に基づき、その資金を有効に使ったのかもしれない。結果としては違法性があり、事態が表面化し、彼の意見と違った方向に決着を見ることになったが、鈴木議員も始めからそんな泥臭い信念を持って政治を志したのではないと思う。どこかで自分を過信し、暴走しはじめている自分に気づかずにその勢いの流れに乗って今まで来てしまったから、このような結末となってしまったのであろう。政治家のみならず人間みな同じであるが『過信』は『自滅』に通ずる恐ろしいものである。ふと自分の現在の位置を確認し、襟を正、謙虚になることは非常に大事な瞬間である。今回の鈴木議員の逮捕は、小泉改革の断行を直前にして、野党の反撃の格好の材料にされてしまったのは、非常に残念なことである。今度の「医療保険法の一部改正案」は、国民にとっても医師会並びに医療に関連する団体にとっても非常に大切な法案であり、野党側においてもこのまま放っておけない大事な法案だと認識していると思う。しかし、その審議を鈴木議員の逮捕と連動させ、すり替えたのでは何とも理不尽なことであり、国民の代弁者たる国会議員としてのプライドもない。正に恥ずべきことではないだろうか。
  与党が真剣に取り組もうとする姿勢に対して、マスコミに流動され、些細な失言なども野党が意気盛んに追及する手法は、昨今、目に余るものがある。政策や理念に基づいて与野党が討議をするなら、国民の代表者たる国会議員として職務に全うするというものだが、個人攻撃的政治手法はいかがなものであろうか。将来を期待されていた議員の度重なる辞職劇、このような事態を人間の倫理として真摯に受け止め、個々が議員としての成すべき職務について原点に戻って考える時なのではないかと思う。
  国会議員の役目は一体何なのだろう・・・ あれこれ思い悩む毎日である。

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