くのっち
【平成14年9月14日】

    今、民主党は4人で党首公選をやっている。各省庁も人事交代があり、その引継ぎなどで忙しい。また、総理は外交にてアメリカ・北朝鮮に行っている。各大臣は夫々の公務で忙しく働いている。
    前会の「ひとりごと」で、9月8日に行われた今井澄先生告別式のことを書いた。9月10日、朝日新聞コラムニストの早野透さんが「ポリティカにっぽん」でやはり今井先生の告別式の様子が書かれてあった。各界代表の弔辞が読まれた時、それなりの弔辞であったが、草野氏も書いているように友人代表としてかつての東大全共闘議長山本義隆氏の弔辞は確かに迫力があり、私も印象に残った。その内容は「政治家としての今井さん、諏訪中央病院長としての今井さん、そして全共闘としての今井さん……夫々の立場はあろうが、今井さんの全共闘としての魂は同じではなかったのではないか!」と大声で叫んだ時であった。私も尤もだと思うが、どうしても全面的に賛成できないところがある。それは、政治家として最初に当選した時には患者さんの票もかなりあったと思う。この患者さんの声を山本氏はどの様に感じながら弔辞を読んだのであろうか?と思うと、何となく省略されている部分にギャップを感じざるを得ない。今後の社会保障制度がどの様に変わっていくのか?患者さんが今後の医療・介護問題を今井先生に託した気持ちが省略されているような気がしてならない。全共闘時代の『今井澄』だけでなく国会議員『今井澄』もまた日本の医療福祉に熱い信念をもっていた部分が語られなかったのは悲しい。
    私が今井先生に共感したのは野党でありながら、一生懸命「患者の立場で、医療・介護問題の矛盾点」を本気になって厚労大臣に理路整然と質問する態度であった。考えてみると、先生は全共闘でありながら医療を学び、それを諏訪中央病院の院長として実践した結果であり、他の誰にも真似できない人生を歩んだ経験が底辺に流れていたと思うからである。そこに今井先生らしい歴史があったと思いたい。決して学生運動・病院長・政治家を分けることは出来ないと思うからである。決して山本先生を否定しているのではなく、夫々の立場の時は目的が違っていたと思う。
    ある時私は今井先生に質問したことがある。「先生は諏訪中央病院を中心に、市ぐるみ医療・福祉サービスの確立をしました。私は茨城県が医療・福祉が低いので、なんとか県民のためになるような社会保障制度を確立させたいと思って政治家になりましたが、先生の最終的な目的はどこにあるのですか?」と…。その答えを頂けないまま、お亡くなりになってしまったのが残念である。私にも先生ほどではないが、自分なりの集大成がありそれを何とか実践して、国民が安心して老後を送るにはどうしたら良いのか懸命に考えている。それを先生と一緒に見出し、達成したかった。本当に慙愧の思いで今でも先生を偲んでいる……。

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