医療行政の政治的限界

治療 Vol.83,No.5 <2001.5>

 2月12日の日経新聞に国際チーム・米セレラ社がヒトゲノムの解明結果をまとめ、ネーチャーとサイエンスの特集記事として掲載されるとあった。これにより人間の生命が延長する可能性を探求できる。また、ガン、精神・神経疾患、糖尿病、高血圧などが予防できれば、どれほどの多くの人が喜ぶことであろうか!その内容は誠に素晴らしく、政府も今回の予算の中に「メディカルフロンティア作戦」として、この種の研究を推奨する制度を盛り込むなど振興策を講じている。私は政治家であると同時に医師でもあり、医学の進歩にやぶさかではないが、医師であるが故に“自然の摂理”も大切にしたいという気持ちもある。高度先進技術の恩恵を受け人間の寿命は急速に延長したが、一方で超高齢社会をもたらし医療費の増大、社会保障費などの諸問題が少子化と重なって由々しき事態となっている。その意味ではこの大発見を単純に喜んでばかりはいられない気がする。現在約70兆円に上る社会保障制度(自助・公助・共助の精神で成り立つ)の費用は高齢社会のピーク時の2025年には約300兆円に膨らむと予測されている。現状ですでに破綻している医療費の財源を患者自己負担の増大や消費税のアップだけで賄うという発想では将来の社会不安をどうしても払拭できない。

 2月27日の日経新聞に厚生労働省は「2001年度の国民医療費が5.5%増の30兆7千億になる」と発表した。介護保険の導入で、2000年度の医療費は過去最高だった1999年度よりも低下したが、2001年度は70歳以上の高齢者が60万人増え、全体として6千万円の増加の見込みという。少なくても老健施設と療養型病床群が介護保険に移行した分の4兆2千億円の一部が浮くはずではなかったのか?たった1年で再び増加ペースになるとは読みが甘かったと言わざるを得ない。しかも3月2日の日経新聞では「厚生労働省は介護の必要な高齢者の入所者一部負担金について2002年から特養で平均5万円、ケアハウスは所得に応じて月7万円〜15万円の自己負担額を考えている」という。これは国民基礎年金生活者では入所できないことを意味している。このことについて厚生労働省に聞いてみたところ何らの回答もなかった。今後、貰える年金は減り、医療、介護、さらには税金と自己負担が重くなれば医療機関にかかれない老人が増えてくる。もはや高齢者の無駄な病院通いに歯止めをかけて医療費を削減しようといったレベルではない。今後の病院・施設経営者は相当の覚悟を持って対応しないと潰れる可能性が十分に派生してくるものと思う。

 今年の1月から実施された「医療法の一部改正案」の中で情報開示が義務付けられた。しかし2月28日の朝日新聞に「訴訟が予測される場合には大学病院では21%、民間病院では34%がカルテのコピーを渡さない」とあった。カルテには個人のプライバシーが書かれているのは勿論であるが、医療提供者側の判断ミスも書かれている(注:本人は正しいと思っている)。今政府が「IT革命」推進の一事業にあげている「電子カルテ」は、実施した検査、画像も含め、すべての情報を医療機関同士で共有できる点で非常に有用である反面、仮に見落としなどのミスがあればこれも“共有”することになる。訴訟の時にはカルテ提示をしないと言う法的な拘束までかけておかなければ、日頃から都合の良い情報のみしか掲載されない可能性がでてくる。医師同士がすべてを明らかにしなければ医療費も期待されるほど削減はできない。大型コンピュータの整備費とその維持管理費の問題もある。さらに将来はこれで医療費の請求まで行おうとするならば、「両刃の刃」ともなる。そういった数々の問題について十分なディスカッションと対策をせずに表面状のメリットのみでにわかに電子カルテを採用することは一刻の猶予もない医療費削減に大きな打撃を与えることになる。

 さて3月5日に3度目の森内閣の不信任案が提出された。これは現時点で666兆円の国債を出しておりながら、景気低迷が改善されないことに対し国民が抱いている雇用不安、老後不安、教育不安などすべての不安の結果である。これに対し一部の学識経験者は「国民は1,350兆円の預金があるのだから、その半分位の国債は後世に残しても心配はない」と言う人もおられるが、この預金の内容を見ると、国民の各種年金を含む社会保障費の残高と郵便貯金の合計である。これはとんでもない間違いで、将来の社会保障費が300兆円となれば国の予算の4倍にも上り、今の国債は亡国の兆しである。だから今から「いかに効率の良い満足される医療・福祉を提供できるか」を考えなければならないのである。敢えて書くが行政や政治家は現場のことをほとんど分かっていない。また国会でも議員の汚職事件スキャンダルに対する責任追及に貴重な時間を取られ、その他多くの大切な事項の審議にあてられる時間が少ないことに苛立ちを覚えている。だが一議員の力ではどうにもならないのが現実である。その解決策としては医師自身が社会保障制度の造詣を深め、医療費の節減にリーダーシップをとり、関連各団体の人達を集めて決めていくことが最も大切なことと思う。自分達自身が改革の狼煙を上げないと政治に期待しない国民には納得して貰えないのではないだろうか。

是非先生方の忌揮のないご意見をお聞かせ下さい。


参議院議員/恒貴会・協和中央病院理事長
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